「平和だねぇ」
永羽が転校してきて既に二週間が経った。もう大分、クラスの人たちとは打ちとけ、最近ではここ何年か体験したことがない、平穏な日々を過ごしている。
それは何故か。
「いや〜。彼方さんがいないだけで、こんなに清々しい気持ちになれるのか」
「なんか、空気まで違うよね」
「ああ、洗われている感じがするな」
「まあ、今の気持ちを表すとしたら……」
「平和万歳!!」
もうお分かり頂けたであろう。そう、魔王で悪魔な彼方がここ一週間、永羽と朝樹で遊ぶことをぴたりと止めたのだ。永羽については家に帰れば悪魔は健在なのだが、最近妙に機嫌が良いため、「コンビニで○○買ってこい」などのパシリ程度で済んでいる。朝樹に至っては涙を流しながら喜んだ。
「これというのも、野館先輩のおかげだよね〜」
永羽と朝樹は頭の中に怯えまくるちっさい先輩を思い出す。
彼方が永羽たちに構わなくなったのは、この先輩が不運にも彼方に気に入られてしまったからである。野館小織は千絵子と似たような危険察知能力が備わっているのか、彼方の接近にすごい敏感で逃げようとするのだが、天性の鈍さが災いし、いつもその能力を発揮できずに終わっている。そして、彼方に捕まった小織はまさにこれから食べられてしまう草食動物のようにビクビクと体を震わせ、彼方もその反応を見て楽しんでいるのである。……つくづく悪趣味な男だ。
永羽は彼方に気に入られてしまった小織に同情してした。
が、所詮、自分の身が一番かわいいのだ。この平和な生活には小織と言う犠牲が必要なのだ。
永羽は胸の中で小織に謝りつつ、もう癖のように昼休みに朝樹とジュースのパックで平和に乾杯した(そして、何故か朝樹も毎度のようにこの教室に来ている)。
「幸せそうだねぇ、朝樹くんは」
ふと聞こえて来た耳に心地よいこの声は。
「あ、綾くん」
「会長ー」
やはり天使さまだった。この平穏な時に綾人の顔を見ると、本当にここは天国ではないかと、そんな馬鹿みたいなことを永羽と朝樹は思ってしまう。それだけ、この二人の精神的苦痛はひどかったのだ。
「政田先輩、彼方さんは一緒じゃないんですか?」
と、千絵子が余計なことを言う。
それに朝樹があたふたしていると、綾人は苦笑しながら「今日も野館さんのところに行ってる」と答えた。
「へー。なんかすごい執着っぷりですね」
千絵子が感心しながら言うと、綾人もそうだね、と同意した。
「しかし、その野館先輩のおかげで我々の平和は保たれている」
「そのとーり!!野館先輩は我々の女神だ」
永羽と朝樹がそう言って、彼方の非道さを語りながら、また食べることを再開した。
綾人はそれに適当に相槌を打ちながら、胸の内で舌舐めずりをした。
―――さあ、平和はいつまで続くか。もう一匹も動きだす。