この日の授業も終わり、部活にも所属していない小織はさっさと帰って再放送をやっている某有名野球アニメの『タッ○』を観ようと思っていたのだが、廊下に出た途端、鞄をを持って帰ろうとしている彼方にばったり鉢合せをしてしまった。
彼女は不幸な星の下に生まれたのかもしれない。
小織は「ギャッ」と思わず声を出し、脱兎の如く逃亡した。彼方は何故か自分の顔を見て悲鳴ををあげられ、何故か逃げるように走り出されたことをポカンと口を開けて離れていく小織を見ていたが、お忘れだろうか。彼方は人が嫌がることが大好きである。加えて、自分の顔を見た途端悲鳴をあげられたことも気にくわなかった。
逃げる者を追いたくなる、いや追い詰めたくなるのが人の真理である。
彼方は鞄を背負うと、全速力で小織を追いかけはじめた。
小織はゼエ、ハア、と息を吐き出す。自分でも何故いきなり走り出したのか分からない。自分でも今ならクラスでトップを狙えるほど早く走れたような気がする。それにしても……。
「つ、つがれた……。いくらなんでも、もう、休んでも……キャー!!」
小織はふと後ろを振り向いて絶叫した。彼女の叫び声はグラウンドでノックを打っていた野球コーチに「お前らもあれぐらいの声を出せー」と言われるくらい学校中に響き渡っていたと言う。
「野館さん。どーして逃げるのかなぁ」
小織は逃げ回った末、体育館裏で彼方に捕まってしまった。壁際に追いやられ、右を向いたら、彼方の腕、左を向いても、彼方の腕、正面にはあらイケメンがって、おい。
ちなみに小織の姓は野田ではなく、野館である。
「い、いやぁ〜。動物に生まれながら備わっている防衛本能というか、なんていうか……」
「だからさ、なんで俺を見たらその防衛本能が働いちゃったわけ?」
彼女は要らん穴を掘ったようだ。
しかし、ここで、「目が恐いんです」などとバカ正直に告白するほど小織はアホではない……と思う。多分。
「なんで?」
逃避していた思考を目の前の現実に戻してみたら、目がギラついているイケメン。
「……恐いです」
つい。ほんとに小さく、つい、ポロッと本音が出てしまった。
どうやら彼女はアホらしい。
彼女の言葉を耳にした目の前の男は普段から聞き覚えのある台詞に、ニヤリと口が歪んだ。
「へー。俺が、恐いの。どんなふうに。ただこうして見ているだけなのに」
さらに顔を近づけて目を細めて笑いながら彼方は訊ねる。逆に小織はプルプルと身を小さくしながら必死に彼方と目を合わせないようにしている。彼女のこのような態度を見ると、彼方は可哀想に思う……わけではなく、逆に苛めぬきたいと思ってしまう。
そう。御存じの通り、彼方は苛めっ子である。それでもってサドである。
三角の尻尾を揺らしながら獲物を目の前でいたぶる悪魔に、今哀れなうさぎが標的にされていた。
「こ、恐くないです……」
「そんな目をそらされて言われてもなぁ。こっち向けば」
言われて恐る恐る振り返る小織。
「……大変麗しいお顔ですね」
彼方の顔を前に気もそぞろ状態で呟く。
一方、彼方はこの反応は少し意外だった。この場面で自分の顔面が褒められるとは思わなかったのだ。
「ふーん。俺かっこいい?」
「は、はい。それはもう、野性味溢れるイケメンぶりで」
少しひっかかる物言いだったが、彼方はその言葉を聞いて、今日一番の笑みを顔に浮かべた。
「そうか。俺もお前の怯えっぷり、すっごい気にいったんだよな。俺たちつき合うか」
なにがどうして、そうなったのか小織には分らなかったが、それから五分の攻防の末、最後は彼方に「ここで犯すぞ」と低い声で脅され、小織は彼方の彼女となった。