「永羽おはよ。髪の毛すごいはねているよ」
授業の準備を終えた千絵子がくるっと後ろに振り返り、挨拶と共にいらないことを指摘する。ばっと頭に手をあてると、びよんと一房だけ外にはねていた。しかも、手櫛ではもどらないはね方だ。
永羽は深々と溜息をついた。バカな兄貴に悪戯されるし、遅刻はするし、髪ははねてるし……。1日は始まったばかりだというのに、既に今日の運勢は悪いのではないかという予感がひしひしと感じられる。
永羽は髪を直してこようと席を立つが、見計らったようにチャイムが鳴った。永羽はズーンという効果音を背中に背負ってもう一度着席した。両手を組んで、その上に顎を乗せ、髪をはねさせたまま表情暗く黙り込む。
いつも能天気な永羽のいつにないテンションの低さに千絵子は戸惑い、自分の腕に嵌めてあったシュシュを無言で手渡した。永羽も無言で受取り、後ろで括ろうとするが、髪が括れるほど長くなく、シュシュがするりと落ちてしまった。さらに背中に背負っているものが暗くなってしまったが、1限担当の教師が教室に入ってきてしまい千絵子にはどうすることもできず、取りあえず見ているだけで運気が下がりそうな友人を視界から外し、あだ名がカーネルの英語担当の男性教師を熱心に見つめた。
朝からツイていない永羽だったが、本日一発目の授業でもそれは続いた。本日欠席した前の席の吉村くんせいで、本来あたる予定だった英文の訳がずれて予習していないところがあたってしまったのだ。それでも必死に訳したというのに、カーネルに苦笑いをされて精神的ダメージを負った。
これが今日1日続くのかと思うと、永羽は恐怖に震えた。それに4限目は体育だ。授業内容はバレー。このままの調子で行くとおそらく……。
「やばい、私体育の時間に殺される」
「なんでそーなった」
千絵子が呆れながら永羽の後ろに回り、櫛で髪を梳かす。それでも、頭皮の感触から髪のはねが直る様子はない。
「こっちは真剣に言ってるんだよ」
「確かに、今日永羽はなんか陰鬱な空気が漂っているけど……そんなの気の持ちようじゃない?さっきの英訳だって落ち着いてやれば、本来あたる予定だったところより簡単だったはずだし」
「え、そうなの……いや、それは毎回きちんと予習をしているから言えるのであって、毎回予習もせずにテレビを見ている私にはどれも同じ難易度の英訳だったような」
「予習をしていないことをそんな自信満々に言うな。それになんで今日はそんなに悪いほう考えを持っていくかなぁ。いつもの能天気さはどうしたの。その小さな脳みそでは抱えきれない悩みでもできたか」
「別に悩みなんて……」
ない、と言おうと思ったが、昨日から頭の中にちらちらと浮かぶ綾人の顔を思わず思い出してしまった。
「えー?な、ななないよ〜」
それでもないと言い切ったが、絶対嘘だろとすぐ分かるほどどもってしまった。案の定ジロジロと不審そうに千絵子に顔を見られるが、きょろきょろと視線を泳がせてその視線から回避しようとする。それでも、千絵子の視線はしつこく追い回してきたので、永羽は観念して顔を両手で終わった。
「……昼休みに話すから、今は勘弁して」
「最初からそう言えばいいのよ」
千絵子はポンッと頭を軽く叩いて席に戻っていった。
軽く髪を触ってみると、サイドが編み込みにされていて、はねていた髪がその編み込みの中に納まっていた。
千絵子のおかげでいつもより可愛くアレンジされた髪を触り、永羽は再び綾人の顔を思い出す。
そして、すぐに顔を机の上に隠した。
(……かわいいって言ってくることを期待するなんて、私の頭は沸いてんのかな)
編み込んだことで外に出された耳は、赤く染まっていた。