その六、遅れて来たのは主役じゃなくてボスキャラの閻魔大王様でした

 転校二日目。
 永羽は昨日と同じく彼方の鞄持ちをして登校した。あの男、それをあたり前のようにやるから恐ろしい。
 今朝家を出る時には鞄を持たず靴をつっかけて出ていこうとするもんだから、人が親切心で「鞄は?」と聞いたら、
(あの男……)
 彼方様はこう仰いました。

「何言ってんだ。俺の鞄持ってくのお前の務めだろ。早く取って来いよバカ」

 務めってなんだ。任務か。仕事か。国民の三大義務の勤労の一つですか。「こんなこと義務化すんなー!!」と声高に叫びたいところだが、既に日常化してきているため文句も言えないし、言ったら何かいろんな意味で最後になりそうだから直接文句は言えない。よってストレスが溜まるのも当然だろう。
「だからって、俺をこんな目に合せて良いとは限らないのだよ」
 現在永羽にぐぃ――――っと左頬を引張られている朝樹。彼は本当に自分のことを彼方に伝えたのか気になって朝早くから永羽の教室に来ていたのが、遅刻ギリギリに登校してきた永羽と顔を合わせた途端この仕打ち。尾田朝樹、彼方に会うまでもなくヘタレキャラが戻りつつある。
 永羽は最後に思いっきりぐっと引張ってから手を離した。それを恨みがましく見る朝樹。
「なんか今の朝樹の顔見るとムカつく。早くお兄ちゃんに弄られてヘタレに戻ればいいのに」
 現在進行形で戻りつつあるが。
「ひどっ。お前ちょっと見ない間に彼方さんに性格似てきたんじゃないか?昔のお前はもうちょっと優しかったぞ」
「あんたがのほほんと生活してたせいでしょ!ふふ、見てなさい。今に地獄を味わうことになるんだから」
 永羽の怪しい笑みにゾゾッと背筋に悪寒が走る。
 朝樹は昨日から気になっていたことを唾を飲み込んで聞いてみる。
「とと永羽。お、お前、本当に、その……彼方さんに俺のこと言ったのか?」
 朝樹の質問に永羽はにっこりと微笑む。
「まっ、楽しみにしてなよ」
 それを聞いて朝樹はピキッと固まった。朝のチャイムが虚しく響く。

「ハーハッハ!!来ない、来ないぞー!!魔王は俺を見捨てて下さった!ありがとう。平和をありがとう!」
 そう永羽達の教室で叫ぶのは本来自分のクラスのC組にいるはずの朝樹。今は昼休み。彼は休み時間が来る度にいつ彼方が来るかと怯えて過ごしていたのだが、彼方が来る気配はない。遂に自分で弄ることに飽きてくれたかと感動して、わざわざ教室で弁当を広げて食べている永羽と千絵子に報告しに来たのである。
 既に爽やかさとはほど遠くなっているが、朝樹は自分の平穏が保たれたことに歓喜し、そのことに気づいていない。
 そんな朝樹をウザそうに見ながら、千絵子は永羽に話しかける。
「彼方さん本当に来るの?」
「と思ったんだけど。朝樹のこと話した時笑ってたし」
「……本当に飽きたとか」
「そんなのずるい!」
「ずるいって……」
「まー、お前はあの人の妹として生まれた時点で諦めるんだな」
 へらへらと笑いながら話し加わってきた朝樹に永羽はキッと睨みつけた。
「他人事だと思っ、て……」
 永羽は朝樹に文句を言うと思ったら、その言葉はだんだん尻つぼみになっていき、口の端が引きつらせて固まった。視線の先は朝樹の後ろ、教室のドア。
「あれ?永羽どうした?」
 朝樹が永羽の顔を覗こうとすると、誰かに肩を叩かれた。
 なんだ?と思いつつ振り返ってみて、朝樹も永羽と同じように固まった。
「久しぶりだなぁ、朝樹。俺に挨拶もなしとはいい根性してんじゃねえか」
 そこには素晴らしく男前な笑顔を振りまいている彼方様がいらっしゃった。
 ちなみに千絵子の姿は既に教室にはない。
「か、か、か彼方さん。俺にもう飽きたんじゃ?」
 朝樹が若干震えながら訴えれば、彼方は笑顔のまま首を傾げる。
「なんのことだ?それより、挨拶に来ないお前の代わりにわざわざ俺から出向いてやったんだ。なんか言うことはねーのか」
「ははははい!!お久しぶりです!お元気そうでなによりです!ご足労をおかけして申し訳ありません!!」
 もう土下座するんじゃないかって勢いで体を折り曲げる朝樹。それを見て、彼方は空いている千絵子の席に座り、「腹減った。朝樹コロッケパン二つと限定プリン買ってこい」と命令した。ちなみにコロッケパンと特製プリンは購買の売れ行き商品であり、入手は困難。しぶる朝樹を彼方は「人気者なんだろ?朝樹クンは」と言って教室から蹴り出した。
 彼方が何故、朝樹の元に現れなかったのか。それはもともと自分から赴いてやろうという気がさらさらなかったのだ(ただ単に精神的ダメージを加えたかっただけのように思えるが)。
 彼方に会って三分のしないうちに下僕へと成り下がった朝樹に、永羽は心の中で合掌した。
 彼方の登場でひそひそと話す声が聞こえるが、静かになった教室。永羽は兄の方を向いて訊いた。
「一体何しに来たのよ」
「綾人お前んとこに寄るっていうから、ついでに下僕に挨拶しようと思ってな」
「え、綾くん?」
 彼方の口から出来てきた知り合いの名前に教室を見渡すが、それらしき人物はいない。
「綾人ならここくる前に担任に呼び止められてたからいないぞ」
 彼方は永羽の弁当についていたりんごが入っているタッパーを取り、中身を食べ始めた。
(私のりんご……。あれ、そう言えばお兄ちゃんもお弁当持ってたよね?)
 と言うことは朝樹はただの嫌がらせでパシられたのか。
(綾くんもいないし、朝樹をいじったならもう帰ればいいのに……)
 永羽は食べつくされていくりんごを目で追いながら、内心で恨み事を言う。
「お前、さっそと帰ればいいとか思っただろ」
 最後の一切れを食べながら彼方が見透かしたように言う。永羽はギクッと大袈裟に肩を揺らしながらも「そんなことないないっ」と引きつった笑いを浮かべて否定する。
 兄妹であるにも関わらず永羽の彼方に対する下僕精神にクラスメイツは視線をそらし、遠巻きにこちらというより彼方を窺っている。
(ああ、私はこの学校では友達ができないかもしれない……)
 うっすらと目にしょっぱいものを浮かばせながら明後日の方向を見る永羽。しかし、このクラスには千絵子もいるし(絶賛逃亡中だが)、心友・朝樹もいるし(心強いとは嘘でも言えないが)、たぶん大丈夫だ。
 永羽が精気のない目で彼方の肩をもんで言い聞かせていると(ストレスで肩こった、とありもしないストレスを理由に肩をもまされた)、
「永羽ちゃん」
 自分の名前が呼ばれた。昨日からこのパターンが多いな、と思いつつ顔を上げると、小学生の頃から成長した、しかし変わらない天使のような甘い笑顔を浮かべた綾人が教室に入ってきた。