叫んで永羽は綾人に飛びついて。文字通り、跳躍し、足は綾人の胴体に腕は首に巻きつけている。よもや女子高校生には考えられない行動だ。
そう、彼女は混乱していた。
綾人はそんな永羽を動揺することになくやんわり抱きとめてポンポンと頭を叩く。
(あ〜。癒しだ。絶対この人マイナスイオン放出してるよ)
日頃兄に虐げられている永羽に綾人の笑顔はまさに癒しで、頭をぐりぐりと綾人の肩に押しつけた。髪がぐちゃぐちゃになったいようが構わない。今この場に足りないものは癒しなのだから。
「久しぶり。大きくなったねぇ。前はこれくらいだったのに」
そう言って、綾人は親指と人差し指の間に1cmぐらいの隙間を作って、お決まりのギャグを言う。
「綾人くん……昔の私はそこまで小さくなかったよ」
「あはは。そうだね」
綾人と笑いあい、再び癒される。
(あれ、なんか忘れているような……)
そう思うと同時に、永羽の髪が後ろに引っ張られた。途中ブチッと音がしたから確実に五本以上は持っていかれた。
「いっっっっっだ〜〜〜〜〜〜〜!!!」
涙目ながらも思いきり睨みつけるように相手を見れば、そこにいたのは素晴らしい笑顔の魔王様、もといお兄様。
「感動の再会はもういいか?」
「……ハイ」
どうやら髪の毛と一緒にさっきまでの癒し効果も魔王に吸い取られたようだ。さすがは魔王。
「どうした、彼方。寂しかったのか?お前も来るか?」
あはは、と爽やかに負のオーラを押しのけ綾人は彼方に手を広げる。彼の周りにだけキラキラしたオーラが見える。永羽はドロドロとした異空間の中から自分がそちらに行きたいと切に思った。
「……お前キモイこと言うなや。見ろ、鳥肌立った」
言われた通りに見れば、彼方の腕にはびっしりとサブイボが。
そして、永羽の腕にも若干その現象が起こっていた。何故かと言うと、あの彼方に「寂しがる」なんていう単語があまりにも似合わなすぎたからだ。もしここに朝樹がいたらきっとバカ正直に「彼方さんが寂しがるとか……ないない。なに気持ち悪いこと言ってるんですか」とか言っていただろう。へタレのくせに空気の読めないヤツなのだ。
「そうだね。それは僕が悪かったよ。……じゃあ、永羽ちゃん。もうすぐ昼休み終わると思うからもう行くね」
「もう行っちゃうの、天……綾くん」
帰る前にこの淀んだ空気を天使オーラで清浄していってほしい。
「うん。ほら、彼方も行くよ」
「ああ。あっ、今日綾人うちにくるから」
こう見えて彼方は緑茶好きである。
「えっ、そうなの?」
綾人が来てくれれば、彼方の暴走を制御してくれるため、今日一日平和に過ごすことができる。ただ問題があるとすれば、次の日との落差が激しいことだ。
「だからお前、なんか食いモンと飲みモン用意しとけよ」
それからパシリ(とヤツの財布)にされるということも付け足しておこう。
「永羽ちゃん。別に気にしなくてもいいから」
にこっと綾人が笑って言った。
(天使……いや、天使を通り越して菩薩だよ)
ついに宗教理念を超えてしまった。
綾人の言葉に感動していると彼方の方から「気にしろ。買ってこい」という声が聞こえたが、永羽は無視することにした。
そして、結局何をしに来たか分からない二人は周りを騒がせるだけ騒がして帰って行った。
「相変わらずだね。彼方さん。なんか成長とともに悪魔っぷりに磨きをかけた気がするけど」
永羽が呆れて二人を見送って席に着くと、そこにはいつ消えていつ現れたのか、千絵子が感心したように言った。
「あんた、今までどこにいたの」
「えっ?教室のドアから息をひそめて観察してたけど」
「それが何か?」とでも言うように首を傾げる千絵子に永羽は深く溜息をついた。
「って、ちょっと!今の永羽ちゃんのお兄さん!?すっごいかっこいいんだけど!!」
「うんうん。なんか男の色気が溢れてたよね」
永羽が席に着いたと同時に今まで周りの風景と化していたあっちゃんとキミちゃんが興奮したように話しかけてきた。目が見開いて少し怖い。
「あっ、でも紹介とかはいいから」
「うん。なんか生き血を吸われそうだしね」
何気に彼方を貶し合う二人。
(別に紹介するとも言ってないんだけど……。生き血って……まあ、常に生きる希望は奪われてるけど)
兄に生気を吸い取られていると思っている永羽はその言葉にうんうんと頷く。
「それにしても永羽ちゃんって政田会長とも知り合いだったんだね」
「うん。幼馴染なの」
「今日も王子スマイルが輝いていたわ」
永羽は天使のようだと思ったがなるほど。王子と言っても綾人なら似合う気がする。
「どっちにしろ、一癖も二癖もある男があんたの周りにいるわけだよね」
千絵子は小さく息を漏らした。
「お兄ちゃんのは悪癖だけどねぇ。あ〜、早く下僕から解放されたいぃ〜」
「無理じゃない?」
しかし、この永羽の願いは数日後実現することになる。
そして、五時間目始まりのチャイムギリギリにコロッケパンと限定プリンを買って戻ってきた朝樹は既に彼方が教室内にいないことを知ると肩を落とし、鳴り始めたチャイムに半泣きになりながら走って自分の教室に戻って行った。
……哀れ。