その八、 噂の王様と心身ともに衝撃的な出会いを果たしたうさぎさん

 在原兄妹が転校してきて一週間が経った頃、在原兄妹は学校で知らない者はいない人物となった。
 特に在原兄・彼方の傍若無人っぷりは教師にも止められず手を拱いているほどで、そんな彼らの唯一の頼みが彼方の幼馴染の政田綾人であった。品性励行を絵に描いたような教師自慢の優等生と悪魔の仲の良さは学校の七不思議とも言われ、彼方のストッパーの役割を果たしていた。
 そして、ここにも一人、その悪魔の存在を知るものがいた。
「B組の絶対王制?」
 野館小織(のだちさおり)は友人の言葉に眉をひそめた。
「何それ?」
「バッカ。あんた知らないの?B組の転校生」
 友人の美智佳(みちか)が「バッカ」を強調して大袈裟に言う。そんなふうに言われて小織はむっとしながら言い返す。
「知ってるよ、それくらい。確か、野獣のような人なんだよね?」
 小織の発言に美智佳含め、その場にいた友人全員がガクッと肩を落とす。
「ちっがう!!いや、ある意味あってるだろーけど、違う!ワイルド系のイケメンなの!野獣じゃなくて」
「でも、ワイルドって野性って意味じゃないの?」
 と言いつつ、小織はイケメンって死語になるのかな?とどうでもいいことを頭の隅で考える。
「そうなんだけど……なんてゆーのかな?まあ、野性味溢れてはいるよね」
「うん、まあ。とって食われそうだよね。雰囲気とか」
 ……やはり野獣ではないのか。
「顔も整ってるし、独特の色気もあるし、B組の子が言ってたんだけど目を見るとゾクゾクするんだって」
 ……恐怖でか。
「その子ただのМじゃないの?」
「てゆーか、やっぱり野獣であってるじゃない」
 友人達の話を聞いて、総合的にその転校生を評価するとやはり野獣にたどりついた。どちらにしても只者ではないだろう。
「えー、まあ、外れてはないのかな?」
「でも、野獣って聞くとなんか品がないっていうかがっついてる感じに聞こえるから、私的にはそう表現してほしくないかも」
「あー分かる分かる。なんかもっと品を感じるよね」
 友人達の評価に同じじゃないのか、と首を傾げながら歩く小織。
 今は移動教室の帰りで、自分たちの教室に帰る途中である。科学室から小織たちの教室までどうしてもB組を通らなければならない。B組の教室が見え始めて、小織は噂の転校生を見てみようとちらっと視線だけB組の教室に向ける。美智佳たちも気になるのか、こちらは堂々と教室のドアに顔を突っ込んで覗いている。ちなみに小織のクラスのF組はB組と校舎が違うため(A組とB組は校舎が違う)、このように移動教室ぐらいではないと別校舎に行くことがないため美智佳等はめったに見れないワイルド系(らしい)イケメン(らしい)転校生を見ようとがっついているのだ。
 しかし、どうやらその転校生はいなかったらしい。美智佳たちはどこかほっとしながら「いなかったぁ」と報告してきた。
 小織は少し残念に思いながら渡り廊下に続く角を曲がろうとした時、何か固いものが顔面、いや、体全体に衝突し、小織は派手に尻もちをついた。
「い、いたい……」
「あっ!まったく、何やってんのよこの子は。ドジなんだから……」
 小織が転んだことに気づいた美智佳が駆け寄ってきたが、なぜか小織の前方を見て固まった。
「ドジってひどい……。えっと、ご、ごめんなさい……ッ!」
 小織はとにかくぶつかったのが人であることに相手の足もとを見て気づき、とにかく謝ろうと立ち上がったが、謝って相手の顔を見た時に美智佳と同じようにピシリと固まった。
 目の前に立っていた男は見たことのない男だった。それも、美形。ワックスで整えられたであろう黒髪も着崩された制服も、眉を寄せられた端正な顔も男らしさ溢れる美形だった。男のすぐ後ろには、なにかと話題に上がるB組のどちらかと言うと線の細い委員長の首を傾げた姿があるので、余計にそれが際立っている。
 この男こそが、噂の転校生・在原彼方なのだが、小織はそんなことは頭になかった。
 彼を見た瞬間、小織はゾクリと背筋を冷やした。
 黒々とした切れ長の瞳に見つめられると、なぜか逃げたくてたまらなくなる。
 これは完全たる捕食者の目だ、と小織は思った。
 「強さ」の提言には力や意思などいろいろあるが、この男には全てが備わっているように思えた。
(捕まったら、逃げられない、かも……)
 小織はそう判断すると、涙目になりながら「すすすすみませんっ!!」と叫んで、50m12秒とは思えないほどの速さでその場を立ち去った。
 小織の叫び声で我に返ったらしい美智佳たちも会釈して慌ててその後を追いかけていった。

 残されたこの男たちはというと。
「なんだったんだ、あれは」
「さあ、彼方が睨んだからじゃない?」
「俺睨んでたか?」
「うーん。彼方の視線って常に人を見下した感じに見てるからなぁ。恐かったんじゃない?」
 あながち間違っていない。
「被害者意識強すぎだろ」
 彼方は鼻で笑うと自分の教室に向かって歩き始めた。そして、ふと思い出して綾人の方に顔は向けずに問う。
「そう言えば、ぶつかったおさげ」
「野館さんのこと?」
「野館っていうのか」
「うん。F組の野館さん。で、彼女がどうしたの?」
 綾人が訊ねると、彼方はにやりと笑った。それはもう、某へタレ君が見ればガタガタと体を震わせる笑顔で。
「あいつ、朝樹と似た臭いだな」
「ああ、確かに朝樹くんと似たタイプかもね」
 二人はさきほどまで見ていた永羽の同級生を思い浮かべる(実はさっきまで永羽の教室に行っていた。そして何故か朝樹もいた)。
 朝樹と小織の共通点。それは、イジラレ体質であること。
「野館ねえ……」
 凶悪とも言える笑みを浮かべた彼方に、綾人は思った。
(これは僕も動ける日も近いかも)
 そして彼も口許を覆った手の中で笑みを作った。