小織は彼方の顔を思い出して、身震いした。何故か分らないが逃げなければ、と脳が訴えかけいつのまにか走りだしていた。
小織はこれまでにないなにか強い力に引き込まれそうだと感じ、自分を抱きしめるように小さい体をさらに小さくした。
その翌日の同じく昼休み。小織はパックのミルクティーを飲んでいて、突然立ち上がった。
「うわっ。びっくりしたぁ。何?どうしたよ?」
いきなり立ち上がった小織に机をくっつけて食べていた友人らはびくっと体を震わせて小織を見上げた。
しかし、小織に彼女らをかまっている暇はない。なんでかよく分らないが、今脳内にはただちに避難せよという緊急避難警報が鳴り響いていた。
小織は突然の脳の警告に、オロオロしはっとして箸を握り締めたまま教室のドアに走りはじめた―――が、ドンッと何かに顔面をぶつけてそのまま後ろに倒れた。
デジャヴ。小織の脳内警報はさらにうるさくなったが、体は固まったまま動かない。ひやりと頬の横に汗が流れるのを感じた。
「いってぇな、ってまたお前か」
頭の上から聞こえてくる声に小織はピタリと脳まで停止した。
何故逃げようとしていたのかも、この声を聞いて動きを止めないといけなかったのかも分からない。ただ、脳が、体が危険信号を送ってくるのだ。
小織に激突された彼方は飲み物を買いに売店に行こうとしていただけなのだが、警報が優れていても、彼女の運はあまり良くなかったらしい。
小織はぶつかった相手の顔を見ず、ジリジリと後退しようとしていたのだが、目の前の相手が屈んで小織の肩に両腕をかけてきた。小織は大袈裟なほど肩を揺らしたが、相手はそんな反応すら気にしてないらしい。ちなみに顔を伏せていた沙織には見えなかったが、その時の彼方はものすごく"良い顔"で笑っていたらしい、とは綾人の談である。
教室が静かなのか、小織の耳が上手く機能していないのか、何も聞こえなくなっていた。 ―――否、目の前の男の声は嫌というほど、頭の中に響いた。
「うさぎみてぇ。怯えてんの?」
ククッと何が楽しいのか男、在原彼方は笑った。
「今は苛めるつもりはねーよ。こっち向け」
「今は」などと、不穏な言葉が聞こえた気もするが、逆らうことは許されないように小織は顔をおそるおそる顔をあげた。
噂に違わなず、整った顔をした彼は、楽しげに目を細めた。
「名前は?」
彼方が体を屈めているため、小織と彼方の距離は近くなっている。小織の目を見つめる彼方の目は逸らすことを許さない強い力がある。
「野館、小、織……です」
「小織ねぇ。あんた小さいね」
彼方は身体を起こして、右手を小織の頭の上に乗せた。小織は顔の距離が離れたことで体を縛っていたものが少しとれたが、彼方の手が頭にある限り完全にはとれない。
「ほっといて、ください」
小織の身長は151cm。小さいと言われるたびに反発していいたため、条件反射ででてしまった言葉に、小織は顔を青くした。彼方が笑みを深くしたからだ。
彼方はにやりと恐ろしい笑みを浮かべると、
「これからよろしくな、野館サン」
と言った。
小織はただの挨拶のような台詞で、こんなに恐ろしくなったのは初めてだった。