三月十四日。その日、相塚諒(あいづかりょう)は尋常じゃないほど緊張していた。
 お菓子業界による企業戦略に死ぬ気な勢いで乗ったバレンタインデーから早一ヶ月。今や三倍返しがお返しとなったホワイトデー。本当に死ぬ気でバレンタインなぞというイベントに挑んでしまったため、同じ課の男性社員と違い、本命と丸分かりの手作りのフォンダン・ショコラ(初めて作った)を就業時間、誰もいなくなったを見計らって投げつけて、本当に投げつけて額に当てたXデーから一ヶ月の今日、三倍返しどころか飴玉一個でももらえたら万々歳である。
 てゆうか、もらえると思うのもおこがましい。
 バレンタインの次の日は、自分でも信じられないほどのポーカーフェイスで「私あなたに何もしてません。渡してません」なんて態度で出社して、仕事関係以外では話さないように接した。もちろん額の絆創膏は見ないふりで。
 好きなのに。覚悟してバレンタインに挑んだにも関わらず、振られてもいないのになぜ避けなければいけない状況になっているのか。諒はこの一ヶ月、自分を情けなく思い、彼と話すことが出来なくて、寂しく悲しかった。
 しかし、何度も言うが、今日はホワイトデー。もしかしたら、あちらからなんらかのアクションがあるかもしれないし、ないかもしれないという生き地獄のような時間を送らなければならない日である。
 諒は真剣に今日休みたいと切実に思った。
 
   相塚諒、只今ピンチです。
(なんなのあの人!?あれ見つめてるの?睨んでるの?つーか、なんで見てんの!?仕事しろよ!)
 仕事を始めてからから約二時間、諒はある人物にじぃ―――――――――と見られていた。
 ある人物とは、彼女がXデー(この呼び名が定着しつつある)にチョコを投げつけて見事額にクリティカルヒットを食らわせた大本命、加地隼人(かじはやと)二十七歳である。
 彼は始業から諒を、それはしつこいくらいずっと見ていた。
(なぜ!?なぜ見ているのですか!??分からない。あれか。バレンタインのこと根に持ってるとか。うわっ、ありそー。あっ、でももしかして実は私のことが好きでずっと見ているとか…………ないないないない。ありえないね。前に女はDカップ以上じゃないと認めないとか言ってたし。あれはBカップの私へ喧嘩を売っていたね、間違いなく。それに前に彼女さんは総務部の佐竹さん(Eカップ)だったし。……私なんで加地さんのこと好きなんだろ)
 考え過ぎて思考が暗い方に行ってしまった諒。小心者でネガティブ思考なのが彼女の性格である。
「ももももも最上くんっ。これの資料持ってる?」
 加地に見られていることに緊張したため、どもりまくる諒。それに後輩最上は笑いながら答える。
「持ってますよー。てか、なんで相塚さん、そんなどもってんですか」
「お、お茶で舌火傷したのよ」
「あはは。相塚さんって見た目を裏切らず、ドジですよね」
「え?何?貶してんの?貶されてるの私?最上この野郎」
「いやだな。短所は個性ですよ」
「貶してるんじゃないの!」

「はあ〜」
 自動販売機の横に壁を背に預け、諒は深く息を吐き出す。
 今日は、ホワイトデーということもあって緊張していた上に、加地の視線攻撃。そして、ほぼ日常的に行わている後輩最上との言い合いにいつも以上に疲労を感じている。
 諒は先ほど買った紙パック檸檬紅茶を一口飲んで加地のことを考える。
 加地とは会社に入社した諒が配属された部署で指導係として彼がつけられたのが初めての出会いである。加地はその当時から口は悪い、諒をパシリに使う(指導の一環とか言っていたが、それと苺ヨーグルトを買ってこいと言うのは違うと思う)、子どもみたいな屁理屈は言うわで辟易といていたのだが、どうしてか、本当にどうしてか、いつのまにか好きになってしまっていた。
「……なんで、見てたんだろ」
 ボソッと言った独り言。まさか聞かれているとは思わなかった。
「なんでだと思う?」
「ギャ!!」
 突然目の前に現れた黒い影―――もとい加地に諒は叫び声をあげる。
「なんだよ、その叫び声。女なら『キャア』とか可愛く言うもんだろうが」
「……加地先輩が現れたらこう叫びたくもなりますよ」
「しつれーなやつだな。それより、ほら」
 ぐっと手を差し出され、諒も掌を相手に見せる。
 すると、コロンと落とされるイチゴミルクキャンディ。
 諒は訝しげに加地を見る。しかし、加地はなんでもないように答えた。
「ホワイトデーだろ、今日」
 諒はハッと目を見開く。そして、加地から目を逸らして視線を床に向けた。
 これはどのようにとればいいのだろうか。
 時間をかけて作ったチョコのお返しが飴一個。やはり、体よく断られているのだろうか。
「あの、これはどうゆう……」
「別にただのお返しだっての」
 諒の言葉に被せるように加地は言う。
「そう……ですよ、ね」
(ただのお返しよね。……はは、ちょっと泣きそう)
 期待なんかしていないつもりっだったのに、胸がジクジクと痛い。心のどこかでもしかしたらと期待していたのだろうか。
(ありえないのに)
 諒が必至で涙を堪えているところに、加地は続ける。
「いやぁ、痛かったわ。お前のチョコ。顔上げたら、ガツンってね。あれはお前なりの愛情表現か」
 びくっと諒は身体を揺らす。
「でも、美味かったよ。ありがとさん」
 その言葉に驚いてバッ顔を上げる。そこには照れくさそうに笑う加地の姿があった。
「それはただのお返しだけどさ、その変わり今度イチゴ狩り連れてってやるよ」
「……イチゴ狩り?」
 彼にあまりに似合わない単語についオウム返しに返してしまう。
「ああ。好きなんだよ、イチゴ」
 言われて見ればそうだった。彼はよくイチゴの商品を好んで食べている。諒も自分のお昼をコンビニに調達に行けば必ず苺ヨーグルトを加地に買ってくることが定番化していたし、今自分の握っている飴も”イチゴ“だ。
「でも、なんで」
 そう、なぜ加地を自分を誘うのか。
「お前のあれ、本命だろ。だから俺も答えてやってんの。……お前と一緒に行きたくなったんだよ」
 まっすぐ目を見て言われて、諒は今度こそ泣きそうになった。嬉しさからか照れくささからか、きっと今、自分の顔は真っ赤だと思う。
「お前がイチゴみたいだな。その反応は了承とみなすがいいか?」
 諒が小さく頷くと、加地はゆっくり体をかがめ彼女の唇に触れるだけのキスをした。




「でも、加地さん女はDカップ以上じゃないと認めないんじゃなかったんですか?」
「胸がでかくても性格悪きゃ意味ない。大丈夫。お前のことは結構前から気に入ってたし。そんなに気になるなら俺がでかくしてやる」
「セクハラで訴えますよ」

 無事纏まった二人のお話です。


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