イヴの歌声


 十二月二十四日。
街のシンボルである大きな時計台の下にたくさんの人が群がっている。それは今年だけじゃない。毎年ことだ。
その理由は、八時に鐘の音と同時に開く扉の向こう側にあった。
四年に一度、この街からは歌姫が選ばれる。歌姫の歌声は個々素晴らしいものだ。
歌姫は十二月二十四日の一日だけ時計台の上で歌を唄う。街の平和と、来年の幸せを願って。

四年前選ばれた歌姫に僕は恋をした。
歌姫の名も歳も分からない。僕と同い年ぐらいで、白い肌に小顔を縁取る髪はなめらかな栗色。大きな茶色の瞳は満天の星空のように輝いている。
四年前から僕は、年に一度のクリスマスイブの日にただ彼女を見ているだけだった。同じ街に住んでいるのにその姿を見つけることは出来なかった。それが歌姫だ。
今日は歌姫が舞台に立つ最後の夜。
僕は見ていることは止めた。その瞳に僕を映してほしい。その肌に触れたい。今日できっと彼女に会うことはなくなる。
午後七時。
あと一時間で時計台の扉が開かれる。それまでに僕は 捜し出さなければならない。僕の歌姫を。

歌姫を捜すならやはり時計台の中だ。この時間なら中で待機しているはずだ。
しかし、いたのはわすかなオーケストラのみ。オーケストラは歌姫の歌声を掻き消さないために、少ない数しかいない。
「あの、歌姫はいませんか?」
チェロの男に訊いた。チェロの男は僕を見ると、ああ、と意味ありげに笑った。
「歌姫ならまだいないよ。街の中だろうね。君も歌姫のファンの一人かい?毎年毎年、どの歌姫になっても歌姫を尋ねてくる男は絶えないもんだな」
どうやら歌姫に恋をしているのは僕だけじゃないらしい。当然といえば当然だ。
「捜しても見つからないと思うから止めた方がいいよ」
「じゃあここで待たせてください」
「待ちたければ待てばいいさ。ただし、歌姫は違う入口から中に入るけどな。おっと。どこかは教えられないぜ。悪く思うなよ。歌姫については秘密厳守なんだ」
僕が聞きたかったことを先に言われてしまった。
僕はチェロの男に礼を言い、街へくりだした。少しでもあ の歌姫に会うチャンスを作りたい。
街は赤、緑の他に黄色と青と白の光が溢れている。僕は街の中を必死に走り回った。レストラン、広場、本屋から土管の中まで。
人の流れが早い。人が一箇所に集まっていく。
八時十分前。
歌姫を見つけることが出来なかった。

人垣を潜り、歌姫が一番見えやすい場所を確保する。
ざわざわとする人々の声を、八時を告げる鐘が黙らせる。僕も口を閉じた。今からは口を利いてはいけない。歌姫の歌声の妨げにしかならないから。これは既に暗黙のルールになっている。
時計盤の上の扉が開かれる。現れたのは、白いドレスを着た歌姫。
一曲目の音楽が静かに流れ、綺麗な歌声が重なる。
冬の澄んだ空気に響く歌声は鈴よりも力強く、鐘よりは細くそれでいて高い声。
後ろにいる人が息を漏らす音が聞こえた。僕も気持ちは同じだ。
なんて綺麗な歌声なんだろう。
一曲目が終わった。一息後に二曲目に入る。静かで切なくなる音楽だ。
僕は手を握りその場を動いた。
向 かうのは時計台の入口。
毎年歌い終わってから時計台の入口を見ていたけど、歌姫は出てこなかった。それなら、歌姫に会えるのは時計台の中だけだ。
歌姫の歌を聴いているので、みんな滅多に歌の間はその場を動かない。
僕は入口の扉に手をかける。扉を押すと、以外にもそれは動いた。僕は鍵がかかっているかもしれないと思っていたので、正直驚いた。しかし、いつまでもほおけているわけにもいかないので長い階段を上り始めた。
階段を上っている間、僕は昔聞かされたおとぎ話を思い出した。歌姫の話だ。
この街では歌姫にまつわる話がある。枕元で聞かされたおとぎ話の一つにそれがあった。

『クリスマスの夜には一人の天使が舞い降ります』

タンタン、と僕の足音だけが響く。もうそろそろラストの三曲目にいった頃だろうか。

『しかし、その天使は籠に入れられて自由に飛ぶことができません』

だんだんと頂上に近づいていく。歌姫の歌声も時計台の中で反響している。

「だから……」

『だから天使は待ち続け ているのです。鳥籠を開け放してくれる温かい人を』

明かりが見えてきた。
時計台の上のステージでは歌姫がちょうど歌い終わったところだった。下では拍手と歓声が沸き上がっている。

『天使は籠を開けてくれた人に自分の心を捧げます』

星光が歌姫を照らす。
今なら信じてもいいかな。信じたいな。
「―……好きなんだ」
人前にも関わらず、考えるより先に声が先に出た。
先ほどのオーケストラが顔を見合わせている。
歌姫は穴があくのではないかと思うほど僕の顔を見つめている。
どれだけ長い沈黙が続いただろうか。しばらくして歌姫が右手を自分の胸にあて、左手を僕に伸ばした。そして……。
今まで聴いたことがないほど温かく、包み込むような歌声が響いた。
僕にはすぐに分かった。
それは、歌姫から僕へのラブソングだった。
僕は流れた涙を構わずに歌姫に笑いかけた。
この聖なる夜に何が起きても不思議ではないと思えた。
ただのおとぎ話ではない。 これは起こり得るべき物語だったのだ。

天使は愛する者の前に前に舞い降り、愛すべき人のために歌を歌った。